ちびくろ日記

小さくて色黒、平凡な大学生の日常。

君は、人のやっていることをバカにしてはいないか

皆さん、ごきげんはいかがですか?

ちびくろです。

 

 

今回は、「そろばん」について紹介していきたいと思います。

 

 

 

いきなり「そろばん」と聞いて頭にクエスチョンマークが浮かびまくっている人が多数でしょう。

 

 

それでは、まずはそろばんについて軽く浅く説明していきましょう。

 

 

ひとことで言うと、

 

 

 

「電卓誕生前の奇形な計算道具」

 

 

 

です。

 

 

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こんな感じですね。

 

 

 

 

おそらく、誰しもが小学校の授業で一度は触ったことがあるのではないでしょうか。

 

 

そう、あれです。

 

 

 

 

 

これをパチパチ弾き、スピードや点数をバチバチに競いあう競技、

それがそろばんである。

 

 

 

 

 

 

もうめちゃくちゃに簡略化して説明すると、こんな感じです。

 

本当は計算方法等、もっと細かく説明したいのですが、それ書いちゃうと

二万字ぐらい必要なので、また他の記事に預けたいと思います。

 

 

 

 

 

そもそも、どうしていきなり狂ったようにソロバンソロバン

言うのかというと、

 

 

 

実は、私ちびくろ、

 

そろばん、やっていたんです。

 

 

はい、そうなんです。

 

 

期間は、小学校1年~6年までの約六年間。

まぁまぁですね。

 

 

 

ほぼ毎日、教室でひたすら球を弾いていました。

パチンコみたいですね。

 

 

 

 

そろばんにのめりこみ熱中していた、浅黒く小さな少年。

それがちびくろ少年でした。

 

 

 

結果的に、珠算(そろばん)は六段まで昇進しました(最高段位は十段)

なんとも中途半端。へっぽこです。

 

 

 

 

 

 

ですが、実はぼく、

珠算より暗算のほうが得意なんです。

 

 

得意といっても、珠算に比べればって感じですが。

 

 

 

この二つは異なる競技で、

大きな違いは「そろばんを使うか使わないか」です。

 

 

もちろん、暗算のほうが計算は優しくなります。

ですが、その分スピードが必要とされます。

 

 

 

暗算のほうは、九段を取得しました。

あと一段、またしても中途半端。

 

 

 

そのおかげで、買い物で会計をすぐに計算できたり、

ユークリッドの互除法」を力業で解けたりしていました。

 

 

 

基本的には使えないですが。

 

 

 

 

学校で計算をしていると、よく

「暗算ってどうやってやっているの?」

 

と聞かれることがあります。

 

 

 

ひとことで伝えるのは難しい質問ですが、お答えしましょう。

ですが、決して「??」とはならないでください。

変な感じになりますので。

 

 

 

 

なぜ暗算ができるのか。

 

 

 

それは、

 

 

 

 

 

 

「頭の中にそろばんがあるから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ほらー、言ったじゃないですかー。

 

 

 

そうなんですよ。

ひとことで言うと、こうなっちゃうんですよ。

 

 

 

もう少し具体的に説明すると、

「頭の中でそろばんをイメージして、それを弾いて答えを出す」んですよね。

 

 

 

なので、ぼくもそうなのですが

そろばん経験者は暗算をしているときでも、そろばんを弾くように右手の指を動す人が多いです。

 

というか、ほとんど全員ですかね。

 

 

 

 

結果的に、暗算の大会は、

集団が目前の紙を見つめながら机の上で指を躍らせまくるという一種のカオス状態になります。

 

はたから見ると、すごく異様な光景になります。

 

参考までに。

 

 

 

 

 

 

 

 

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これまで、ちょこっとだけそろばんの話をさせていただきました。

 

少し自虐的に書きましたが、ぼくは自分のやってきたこの競技に誇りを持っています。

 

毎日コツコツ努力した者が結果を出す、この世界。

スピードが重視され、一問でも間違えると結果が大きく左右されるというスリル。

 

辛い時もあったけど、ものすごく楽しかったですし、

やっててよかったなと心から思います。

 

 

 

 

しかし、クラスメイトの口から軽はずみで出た心無い言葉に、ぼくのその気持ちは傷つけられました。

 

 

 

 

 

 

「え、それってやっててなんの意味があるの?w」

 

 

 

 

 

 

 

これです。この言葉です。

 

 

ハッキリ言って、ぼくはこの言葉が嫌いです。

というか、この言葉を頻繁に使うやつが嫌いです。

 

 

ぼくは、すぐ意味を問いかけてくるやつほど

自分ではなにもやっていないただの浮浪者だと思っています。

 

 

自分がやることに意味を問いかけ、何も答えがないくせに

意味がないと考えて辞めてしまう、もしくは動かない。

そうすることが合理的だという謎の判断を下し、自分を賢いと勘違いしてしまう。

 

頑張ったことがないので、頑張っている人の気持ちがわからない。

挙句の果てに、他人にまでマウントを取ろうとやってくる。

 

 

 

言われたときは、表面上では軽く流しましたが、心の中では、

「何も頑張れないお前に言われたくねぇよ」と思ってしまいました。

 

 

 

 

 

そして、その言葉を言われたとき、怒りとともにある一つの疑問が浮かびました。

 

 

 

 

「これって、他のことにも当てはまらないか?」と。

 

 

 

 

例えば、スポーツ。

スポーツを続けてきたからと言って「それ自体」が将来、なんの意味があるかと聞かれると、プロのスポーツ選手でない限り、答えるのは難しいと思います。

 

 

 

忍耐力や、根性がつく。

目標に向かって努力をする力がつく。

 

 

 

よくそう言われますが、それはスポーツをする過程で得た副産物であり、

言ってしまうと、スポーツじゃなくても得ることができます。

 

 

ぼくが言っている「それ自体」というのは、競技で得たスキルのことです。

 

 

 

日々の生活で何かを投げる機会はありますか?

蹴ったり跳ねたりする機会はありますか?

 

 

ほとんどないと思います。

 

 

別に、スポーツをディスっているわけではありません。

むしろ、ぼくも小学校から高校までゴリゴリに野球をやっていた者で、

その時に得た経験は、ものすごく今に生きています。

 

 

 

 

結局、何が言いたいかというと、

 

「結果ではなく、過程にこそ意味がある」

 

ということです。

 

 

結果の意味を考えて何もやらなければ、過程もクソもありません。

 

結果ではなく、過程に視点を向けましょう。

 

 

 

意外と、重要なものはそういう場所に隠されているものです。

 

その証拠に、競技で結果が出なかった人が、高い地位を築きあげた例もたくさんあります。

 

 

 

意味を考えすぎると、何もチャレンジできなくなってしまいます。

とにかく、楽しいものややりがいのある、熱中できるものをとことんやりましょう。

 

 

 

その過程で得られる力は、だれにもわかりません。

とりあえず、やってみましょう。

 

 

 

 

 

 

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はい。

 

そろばんの記事を書こうと思っていたのですが、書いていくうちにむかついた出来事を思い出してしまったので、ここで吐き出させていただきました。

 

 

なので結局、全くそろばんの魅力を伝えることができませんでした。

他の記事でガンガンそろばんについて書いていこうと思うので、それも併せて読んでいただけると嬉しいです。

 

そろばんは、素晴らしい競技です。

ぼくから、そのことを少しでも発信していけたらと思います。

 

 

 

 

 

今回の記事で伝えたかったこと。

 

人が一生懸命やっていることに、文句をつけることはやめましょう。

自分を信じて、やっていることに誇りを持ちましょう。

 

 

 

そして、最後に。

スティーブ・ジョブズが言った、ぼくの好きな言葉を載せて、終わりにしたいと思います。

 

 

 

「将来をあらかじめ見据えて、

点と点をつなぎあわせることなどできません。

後で振り返ってみて、

つなぎ合わせることしかできないのです。

 

だから、私たちは今やっていることが

いずれ人生のどこかでつながって

実を結ぶだろうと信じるしかないのです。」

 

 

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