実体験から、情報を発信する者の責任について考える
皆さん、ごきげんはいかがですか?
ちびくろです。
今回は「情報を発信することについての責任」というテーマを、実体験をもとに書いていこうと思います。
今月のはじめ。
ぼくのもとに、ある一通のラインが届きました。
それは、所属していたサークルのマネージャーから送られてきたものでした。
ぼくは、去年の夏からほとんど、というか全くサークルに参加していませんでした。
その理由としては、他にやりたいことができたり、時間的に少し忙しくなったからでした。
ラインの内容としては、サークルに参加していないけどラインにグループには
残っていたので、「今後も参加できなさそうだったら一旦グループから抜けてほしい」というものでした。
当然ですね。
参加しないくせにこのままグループにいても迷惑かけるだけですし、
完全にぼくが悪いです。
マネージャーさんには全く非はありません。
そこで、ぼくはグループを抜けることにしました。
「ごめんね、ありがとう」
と言われましたが、ぼくの方こそ謝りたい気持ちでした。
そして、そのあとも少しラインを続けたのですが、
不意に予想もしない言葉が返ってきました。
「前、ブログでサークルをめっちゃディスっていた記事を見ちゃったから、ラインするのが怖かった」
そう、言われたのです。
確かに、ぼくはサークルのことを非難した記事を書きました。
おそらく、他の記事でもちょくちょくそのことについて触れているので、
この記事ではない可能性もありますが。
ですが、ぼくは自分の所属していたサークルを非難するつもりは全くありませんでした。先輩も同期もいい人たちばかりでしたし、何より楽しく真剣にサークルに向き合っている姿を尊敬していました。
ぼくが記事の中で言いたかったのは、「なんとなくで通っていて、お金や時間が無駄になってしまうサークル」のことです。
そういうサークルに所属しているのは、もったいないことなのではないのか
と思ったのです。
そうではなく、真剣にかつ楽しく、自分の居場所になるようなとところでは、
素晴らしい経験や成長もできるのではないかと思います。
この旨を伝えると、マネージャーさんは
「そうなんだ、それはよかった!ほかに読んでいたのも何人かいて、怒りというよりかはショックのほうが大きかったみたいだから…」
ぼくは、その時に初めて情報を発信する怖さを体験しました。
誤解を生んでしまうような文章の書き方。
ぼくの文章によって、喜んでくれる人だけではなく、
傷ついてしまう人もいるのだということを再認識しました。
読者の皆さんは、画面越しに筆者の顔をみることはできません。
筆者が何を考えているのか、何を伝えたいのかを知る手段は、
文章しかありません。
その文章に食い違いがあったり、伝わりづらいようなことがあれば、
言いたいことが届かないうえに、ぼくのように人を傷つけてしまう可能性さえあるのです。
そうなってしまうと、自分にとっても相手にとっても
情報を発信することに対してネガティブなイメージがついてしまいます。
本来、自分を発信することはとてもいいことであるはずなのに。
非常にもったいないです。
もっと、もっと。
読者さん目線で文章を書いていこうと思います。
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ぼくは、今回の件によって、
情報を発信する責任について深く考えさせられました。
どうやったら誤解を減らすことができるのか、
しっかり考えを伝えることができるのか。
それらを意識しつつ、自分の考えをブレずに発信し続けるには、どうすればいいか。
批判を恐れて自分の書きたいことを書けなくなってしまったら、
元も子もないですからね。
執筆の難易度は上がりますが、これは書き手の最低限の責任だと考え、
これからも書き続けていきたいと思います。
ブログを書く時だけでなく、ツイッターやインスタ、ライン等のSNSでも。
皆さんも、ぜひ意識してみてください。
それではまた。
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