我慢はするべきなのかしら
皆さん、ごきげんはいかがですか?
ちびくろです。
桜も咲いて、気温もぽかぽか。
春が訪れました。
そしてついに明日、新元号の発表ですね。
その瞬間を心待ちにしているのは、ぼくだけじゃないはず。
待ちきれませんね。
でも、明日まで我慢しなきゃ。
ということで。
今回は「我慢すること」について書いていこうと思います(下手)。
今記事を書くにあたって、先に断っておかなければいけないことがあります。
正直言うと、今テーマに対して
まだ、ぼく個人の答えが出せていない状態です。
つまり、結論がありません。
ですので、この記事において、
読者の皆さんも一緒に考えていただきたいのです。
ともに問題を解消できれば、これほど嬉しいことはありません。
よろしくお願いします。
さて、本題に入りましょう。
まずは、ぼくがなぜ「我慢」について考えようと思ったか。
きっかけは、つい昨日の父親との会話から生まれました。
父親「最近、大学は楽しんでいるか?」
ぼく「いや、それが実は、あまり大学に意味が見いだせてなくて…」
父「そうなのか、まぁ確かに授業とかはあまり面白くないよな。だけど、いいか。
勉強はしっかりやりなさいよ。あと、サークルとかの人間関係も大事にしろよ。」
ぼ「それは十分に分かってる。勉強は自分で本とか読んでる。けど、大学の人との関係はあんまりよくないかな。正直、合わなくて面倒くさくてそういうのからは離れてる。」
父「それはもったいないぞ。多少の合う合わないは、我慢したほうがいい。じゃないと、社会に出ても苦労するぞ!」
ぼ「んー、わざわざ嫌なことを我慢し続けることに意味はないと思うんだけどなぁ。」
父「それは違うぞ。いいか、我慢の先に、良いことが待っているんだ。そういう術を持っておくことは大切だぞ。嫌なことから逃げて、好きなことばっかりやってたら何もできなくなるぞ。覚えておきなさい」
ぼ「…はい」
と、まぁこんな感じの内容だったわけですよ。
この会話を見て、どう思いましたか。
父親派ですか?それとも、ぼく派ですか?
正解はありません、一緒に考えていきましょう。
「我慢の先に、良いことが待っている」
父の言うことは、一理どころか五理も十理もあります。
感覚としては、学問を学ぶときに近いでしょうか。
学び初めの理解できずに苦しむ期間を我慢して乗り越えれば、知識が結びつきどんどん楽しくなってきます。
できなかったことも、少し我慢してみるとできるようになる。
苦手な人との関係も、耐えることで仕事が滑らかに進むようになる。
我慢をすることにも、メリットはたくさんあると思います。
が、「我慢できる」という状況は、ある条件付きなんじゃないかなと思います。
その条件とは、「我慢せざるを得ない」か「好きなことについて回る」我慢です。
例を挙げると、
前者は、家族を養うために嫌な仕事も我慢する。
後者は、大好きな野球の大会に出場するために、ケガの痛みを我慢する。
みたいな感じでしょうか。
自分に大きな責任があったり、我慢の苦しみより楽しみのほうが大きい場合じゃないと、人間って我慢できないのでは?と思いました。
そして、このことを先ほどの会話に当てはめてみると。
苦手な人間関係、しかも、いつでも自分から切ることができる関係を続けることはできるのでしょうか。
いや、できないでしょう。
少なくとも、ぼくにはできません。
言葉は少し乱暴ですが、
そんな不快な時間を過ごすぐらいなら、好きなことをやったり気の合う友人と
腹の底から笑ったほうが100倍楽しいです。
なので、自分で避けることができる我慢は、避けたほうがいいのかなというのが
ぼくの考えです。
皆さんは、どう考えますか?
この問題は二項対立ではないので、間も存在するのです。
どちらが正しいなんてありません。
これは、あくまでぼくの父とぼくの意見にすぎません。
もし、あなたの意見があれば、コメントしていただけると嬉しいです。
参考にさせていただきたいと思います。
我慢はするべきなのかしら。
それではまた。
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